アイルランドの話

地の歴程社の事業展開において、アイルランドは重要な位置を占めています。昨今はアイルランドについての本も増えてきましたが、ここではあまり知られていないことも含め記します。理解の助けになれば幸いです。
何かについて、その本質を理解しようと尋ねる「旅」は広い意味で「巡礼」と呼べるかと思います。気に留まって、訪れた幾つかの場所を紹介します。


クロー・パトリック 巡礼の山

アイルランドにキリスト教を初めて伝えたのは聖パトリック(パトリキウス、387年ごろ〜461年)で、432年のことです。実際はパラディウスなど同様の伝道師はおり、彼がその顕著な成功者、あるいは幾人かの業績をひとりに凝縮されたものとされているようです。彼はイギリスのウェールズ出身で、海賊に拉致されて奴隷となり、アイルランドで使役される立場でした。そこを逃げ出し、宣教のため再び訪れました。社会の内情をよく知るぶん、類まれな能力もあるでしょうが、全域を改宗へと導きました。
この聖パトリックゆかりの聖地、またアイルランド屈指の聖地がクロー・パトリックという山です。彼はここで40日間の断食を行い、アイルランドへの加護を天使に(無理矢理)約束させました。彼はそのときアイルランドの宗教的統括権も天使に約束させ、それが彼がアイルランドの守護聖人と呼ばれる理由のひとつにもなっています。
元々は「クルーハン・アグル」と呼ばれる聖地で、ケルトの神ルー(太陽神)の信仰の山でした。パトリックは呪術合戦を行ってまでも異教のドルイド教から影響力を奪いました。キリスト教は、土着の信仰や習俗を活かしながら伝道を行いましたが、ここもその例に当たります。
この山は地元ではリーク山とも呼ばれます。アイルランド西部のメイヨー県に位置し、標高は764メートル。毎年10万人が巡礼で訪れます。頂上には教会があります。ハイライトは7月の最終日曜日の「リーク・サンデー」。数万人が、ときにははだしで、登ります。
標高764メートルはさして高くはないように思えますが、その道は上に行くほど大きめの石礫が群れをなし、勾配も急になっていきます。難易度は高いと言えるでしょう。私は挑戦しましたが、頂上を100〜200メートルにして挫折しました。この困難に挑戦して完遂することが信仰心のあらわれなのでしょう。信心が足りませんでした。
石で覆われた山ですが、その外貌は清涼で威厳に満ちあふれています。太古から信仰を集める屈指の霊山です。現代のドルイド教信者は、キリスト教信者とは別ルートで巡礼を行うようです。


聖ブリジッドの泉 古代からの信仰の地

St. Brigid、聖ブリジッド(454年〜524年)に関わる巡礼の聖地がキルデアにあります。
聖ブリジッドは聖パトリックと並ぶアイルランドの代表的な聖人です。王と奴隷の女性との間に生まれましたが、大変やさしい心を持ち、王の意向を無視して、財産を貧しい人やハンセン病の人たちに分け与えました。機知に富んだ人でもあり、手を焼いた王は彼女の望むままで修道女の道を選ばせたと言います。彼女は女性修道院と男性修道院のふたつを運営し、アイルランドに信仰が根付くことに尽力しました。
キルデアの町は、鉄道の駅から多少離れたところにありますが、聖ブリジッドの石像が目印として立っています。その近くに聖ブリジッド大聖堂があり、ここが彼女が開いた修道院です。中世以来多くの人の信仰を集め、巡礼者が訪れました。
アイルランドのキリスト教は、伝来以前に信仰された異教と深く結びついています。この地は元々ドルイドの聖地であったと言い、聖ブリジッド自身もアイルランドの女神ブリジッドと同一視され、つまり古くからの信仰と習合(融合)して親しまれています。女神のブリジッド(ブリギッドとも言う)は三位一体で、光ー炎ー治癒を司る神と言われています。中世以来の彼女への信仰には、自然と結びついた異教の信仰の残響があるのです。
この聖地は、もうひとつ、「聖なる泉」(holy well)とも結びついています。「ケルト」の文化は古くから泉を尊び、信仰し、そこに巡礼する文化を育んできました。これはアイルランドだけでなく、ケルト系とされるブリトン人が住んだイギリスにも根付いています。※ケルトの概念は現在その定義に多くの議論があり、否定的な意見のほうが多くなってもいますが、ここでは便宜的に通用されている言葉を用いています。
町の中心部からおよそ40分くらい歩いた場所にひっそりとあります。木には願掛けのリボンがいっぱいかけられています。東洋、日本でも泉はときに聖なるものとして信仰を集めましたから、私たちにとってなじみ深いものに思えるでしょう。
彼女を祝う祝日は2月1日ですが、これはImbolcという古い文化由来の春の祝日にちなみます。彼女を象徴するお守り、聖ブリジッド・クロスはイグサから作られる手裏剣のようなかたちをしていますが、これも古の文化から来るものです。
キリスト教とドルイドのような古い文化が密接に習合し、独特の宗教文化を作りあげているのがアイルランドです。

 


革命の聖地、ダブリン


アイルランドの文化がいま国境を越えて注目されているのは、現代の文明が忘れ去ろうとしているもの、置き去りにしてきたものが見出せるからです。
ケルト文化への注目が過熱したのは19世紀のケルト復興(Celt Revivalism)でした。そのなかにはウィリアム・モリスもいました。しかし、アイルランドの人々にとっては別の意味もありました。それは自らの尊厳の復権と独立です。アイルランドが長い時間をかけてイギリスの侵略を受け、遂には植民地とされ、文化と権利を奪われてきた歴史があるからです。
自国の文化と権利の復権は、非政治的な立場を堅持し芸術のみを追究したウィリアム・バトラー・イェイツのような人もいれば、実際に銃を取って革命運動に身を投じる人もいました。立場は相容れなくとも、自らの国の自立を願う気持ちは一致していました。
1916年にダブリンで起こったイースター蜂起は、アイルランド独立を掲げた、民族にとって記念すべき出来事です。「共和国樹立宣言」はその精華と言えるもので、同じように植民地主義に苦しめられていたアジアの朝鮮や中国にとっても、同じ課題を共有するという意味で、希望の光でもありました。
ダブリンはイースター蜂起をはじめとする、革命あるいは民族独立のための苦闘が刻まれた、これも一種の聖地です。そうした歴史の跡をたどることからも、多くのことを感じ取れるのではないかと思います。
「共和国樹立宣言」は、パトリック・ピアース、トマス・クラークら7人が起草したもので、かれらの写真も町の数カ所に記念碑として設置されています。アイルランド語、英語のほか、ポーランド語、アラビア語などでも記されています。これはこの地に多く住む外国人移民あるいは労働者に読んでもらうためのものです。観光用に、中国語やフランス語の表記ではありません。ここに自由と独立がそこに住み、働く人々のためのものという高い政治意識を読み取ることもできます。そうした探訪もまた、現代の聖地巡礼と言えるでしょう。