日本の巡礼路


「巡礼の復活は、ここ30〜40年、欧米のキリスト教において、最も顕著で頼もしい動きである。……コンポステーラ巡礼者の資格を得る人の数が、この20年で4倍に増えた」(イアン・ブラッドリー『ヨーロッパ聖地巡礼』創元社)

めまぐるしく物事が移り変わる情報社会において、人々は束の間の解放をもたらしてくれる「スピリチュアリティ」(精神性)を求めており、それが誰でも気軽に体験できる「巡礼」の人気につながっているとも言われています。
海外だけでなく、日本の巡礼路も人気があります。数ある道の幾つかをここでは紹介します。

 

熊野古道

熊野古道は、世界遺産に登録され、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラと提携関係にある、世界遺産に登録された、日本でも屈指の巡礼地です。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への巡礼路を熊野古道と呼びますが、実際は那智山青岸渡寺など数多くの参拝場所を擁しています。
元々は自然信仰が母体にあり、修験道の要素の中にそれは受け継がれ、また神仏習合という日本古来の信仰のかたちを色濃く残す複雑な信仰のエリアです。主祭神の素盞鳴尊に仕える八咫烏(やたがらす)もいわばキャラクターとして有名です。
温泉が湧出することから湯治の場所でもありますが、その病を治すためハンセン病の人々も多く訪れ、封建的な時代にあっても差別のない平等の地でもありました。小栗判官の伝説は有名です。
この地は数多くの貴顕が参詣し、歌にしましたが、恵まれない人々にも開かれた場所でした。山岳信仰は基本的に女人禁制ですが(太古からではなく平安時代から始まったものです)、熊野は例外的に女性の参詣にも開かれていました。
身分制度にとらわれず、人々の救済に尽力した時衆の一遍が、ここ本宮で熊野権現(阿弥陀如来)から神託を受け、開眼しました。熊野の性格を象徴するエピソードと言えます。
熊野那智大社の末社に飛瀧神社がありますが、これはご神体が一段の滝としては落差が日本一位となる那智大滝になります。元々はこの大滝が信仰の源であったようです。
鬱蒼とした森と峻険な山々を歩くことは、心身のリフレッシュにもうってつけです。かなり険しいので慎重にルートを選ぶ必要があるでしょう。その後は温泉が待っています。

 

秩父三十四ヵ所観音霊場

日本の巡礼において大きなウェイトを占めているのが観音霊場の巡礼です。これは全国に数多くありますが、筆頭に来るのが最古の歴史を持つ西国三十三ヵ所になります。これはひとつの雛形となり、全国に拡散されていきます。
観音菩薩は三十三の姿に変わり、一般衆生の救済に尽くすことで知られています。そのため、現世利益の仏様とされ、人々の篤い信仰を集める存在となりました。
関東圏では板東三十三ヵ所と秩父三十四ヵ所が著名なものになります。巡礼の楽しみ、あるいは醍醐味は苦労して歩いてたどり着く過程にありますが、比較的狭いエリアに寺院が集約され、数多く歩いて回るに便利なコースは秩父三十四ヵ所になります。私も朝から第一番札所の四萬部寺から歩き、第九番札所の明智寺まで歩くことができました。小中規模の寺院で構成され、さほど混雑にも見舞われないので、じっくり観音様と対話をしながらめぐることができます。いしにえのスタンプラリーである、納経帳の購入は必須と言えます。
秩父三十四ヵ所は市街地と森深い丘陵の両方を歩く、変化に富んだコースです。やや荒涼とした武甲山の遠景は、荒ぶる土地である感興も味わわせてくれます。

 

千葉県成田市 宗吾霊廟から麻賀多神社へ

聖地や巡礼は有名なもの、人が多く行くものだけを選ぶ必要はありません。その人だけの聖地を選ぶのもまたひとつのあり方です。
成田市には宗吾霊堂というものがあります。鳴鐘山東勝寺が正式名称ですが、義民・佐倉宗吾が祀られていることからその名がつけられています。佐倉惣五郎は堀田氏佐倉潘の重税という悪政に抗し、徳川綱吉将軍に直訴し、民衆を救った義民として知られています。後に家族ともども、御法度破りとして刑死に遭いました。人々は彼を慕い、今も参詣者が絶えません。宗吾御一代記館もあり、人形による立体パノラマでその偉業を忍ぶことができます。
宗吾霊堂から歩いて北上し30分ほどの場所に麻賀多神社があります。成田市には麻賀多神社が十八社ほどあり、ここがその「麻賀多十八社」の総本社になります。麻賀多神社の大杉は樹齢1800年の見事なもので、鬱蒼とした境内は厳かな雰囲気に満ちています。境内には天日津久神社という社があり、ここでかの岡本天明が啓示を受け、預言書の趣もある『日月神示』を書いたと言います。
麻賀多神社の総本社からさらに北上し20分ほどで麻賀多神社の奥社にたどり着きます。こちらは厳かというより神気、霊気に満ちた森厳さです。境内に古墳(創建者の伊都許利命のものとされる)があり、古代からの霊場であったことが窺えます。元々はこちらが本社でした。ここには神代文字(出雲文字)で書かれた古文書が伝わっていたと言います。伊都許利命にまつわる神社の縁起的内容とされています。スピリリチュアル、あるいはオカルト、古史古伝のロマンに満ちているのが麻賀多神社です。