異教ってなに?

 

異教への扉を開けてみましょう


めまぐるしく登場する商品や情報を消費するのではなく、自然や大地とつながりを持つ精神性を持つ文化を好む人は増えてきたように思います。そうした流れに呼応する文化に、日本では耳慣れない「異教」(Paganism)があります。これは宗教であって宗教でない存在で、スピリチュアリズムとも言えますが、日本にいまあるスピリチュアリズムとも少し異なります。
海外では精神性に重きを置いた文化の立ち上げが静かなかたちで広まっています。そのなかには、先住民の文化の見直し、巡礼の復興、地域に根ざした古い教会の保存、自然環境の再生運動などがありますが、これらは深いところでつながっています。そのひとつに、異教もあります。
具体的には、キリスト教伝来前に信じられていた多神教、ドルイド(アイルランド神話)、北欧神話やギリシア神話の神々への信仰、その国でしか知られていない神々への崇拝など。これらを現代に再生して、宗教の枠に収まりきれない文化の復興が各地で行われています。

・ドルイド教 Druidry
・北欧神話信仰 Heathenry/ Asatru
・ギリシア神話信仰 Hellenic

異教は奉じる神様がそれぞれ異なりますが、バックボーンには共通したものがあります。神様は大地や自然の象徴の意味合いがあり、信仰することは自然との絆を取り戻すことにつながっています。伝統文化や祖先の尊重も大きな特徴です。この異教は著名なものほどその国に限定されることはなく、移民や国際交流などにより国境を越えて支持者が広がっています。民族的な出自と関わりなく、信仰としている人も多いのです。
自然信仰の要素を持つ異教は「地球中心主義信仰」の性格を持っています。ここから想像できるように、自然保護や気候変動への取り組みなど、環境意識はかなり高めです。
「信仰」という言葉から想像されるものと異なり、異教は「正典」を必ずしも持っておらず、教義への厳格さもさほどありません。それぞれの異教に複数いる指導者、準指導者の解釈は微妙に異なります。また、ほかの異教や伝統宗教の要素を部分的に取り入れるなどの柔軟さも持っています。厳密には宗教ではなく民族や習俗に分類されますが、魔女や魔法使い(Wicca)、妖精文化の探求者も、同じ精神的バックボーンを含むがゆえに、異教に含まれます。
寛容でゆるやか、カジュアルな精神文化として、いま異教に魅せられ、傾倒する人々は増えつつあります。

異教の聖地(主にケルト、ドルイド、魔女など)、イギリスのグラストンベリー。


異教の成り立ち


異教とは、本来は世界宗教として知られるキリスト教や仏教のような教祖が始め体系化された教義を持つ創始宗教ではなく、それ以前に信じられた多神教を主に指します。異教の多くは創始宗教である「世界宗教」の伝来で呑み込まれ、同化されることが大半です。アボリジニの自然信仰、日本の神祇信仰(いわゆる神道)などがその現存例と言えますが、ヨーロッパ社会との出会いを経て既存の精霊信仰が変化し生じたものもあります。ヴードゥー教はその典型例です。
逆に呑み込んだほうの世界宗教も、多神教との出会いで変化を経ています。シンクレティズム(宗教混合主義)と呼ばれる現象です。ハロウィンがもっとも有名ですが、キリスト教の祝祭の多くは、発祥地の中東にはないヨーロッパ土着の信仰や習俗が起源です。日本では、明治期以前の仏教と神道は神仏習合という密接な関係性にあり、シンクレティズムの宗教文化を育みました。
本来異教とはキリスト教以外の宗教を指すものです。あえてここでは一神教ではない定義で用いますが、一神教と多神教の関係は必ずしも対立関係にはありません。これはいま信じられている異教が実際には新異教(Neo Paganism)と呼ばれるもので、「新しい信仰」であることからきます。
キリスト教は、ローマ帝国において313年のキリスト教公認=ミラノ勅令、392年の国教化=異教禁止令を経て、ヨーロッパ中にその影響力を拡げていきました。後に各国の王はときには武力を用いながら布教の手助けをし、一部の地域を除き、中世のころにはヨーロッパから異教はほぼ一掃されました。
19世紀に入ると、ヨーロッパの幾つかの国でその国の古層文化としての異教に関心が集まり、研究や考察が進み、その復興が進みます(再評価の始まりじたいは多少遡ります)。これには大きくふたつの柱があります。ナショナリズムの勃興による民族文化の発掘、共同体と伝統を破壊する近代文明へのアンチテーゼとしての注目、になります。ロマン主義、ゴシックなどの中世文化の復権、象徴主義、ラファエル前派なども同根の文化運動と言えるかもしれません。歴史研究の厳密な手法に基づいたわけではないその再発見は多分に主観的、想像的なものが含まれています。その道の研究の大家、ロナルド・ハットンは異教に対し「伝統の再創造」と呼んでいます。
19世紀のケルト復興運動には、ドルイド教だけでなく、各種の文芸運動、さらにはケルト・キリスト教の再生も入れていいでしょう。ケルト・キリスト教は「ケルト」文化を受け継ぐとされた修道院の復興で、英国スコットランドのアイオナ、英国ノーサンブリアのリンディスファーンが主要拠点です。これはいわばキリスト教と異教の接点的なスピリチュアリズムの要素を持っています。実際、異教のドルイド信者でここに魅せられた人は多いです。アイルランドにおけるケルト民族の実在性は、考古学的には多くの議論を呼び、現在では否定的な意見のほうが多くなっています。
現代の異教は19世紀の問題意識である、共同体や伝統の破壊に加え、環境汚染による危機意識を強く持ったものになっています。既存の宗教が組織として硬直化し、人々のニーズに応えられにくくなっていることがその成長の理由のひとつにあります。参加形式のカジュアルさ、現代性を備えたわかりやすさ、自然との一体感の強調、既存の宗教文化のいいとこ取りのフュージョン感覚、などが人気の理由にあげられるでしょう。興味のある方は、ぜひ扉を開けてみてください。

ドイツの巨岩の地、エクスターンシュタイネに残された、キリスト教とゲルマン神話信仰(下部の樹木)の習合の姿。